執筆者 弁護士 友弘克幸(大阪弁護士会所属/西宮原法律事務所)
未払い残業代請求は「労働審判」か「民事訴訟」で解決
未払い残業代請求についてネットで検索すると、「労働審判」と「民事訴訟(裁判)」について解説するページが出てくることがありますが、
「そもそも労働審判と民事訴訟はどう違うのかが分からない!」
「労働審判と民事訴訟と、結局、どちらが良いの?」
という方は多いのではないでしょうか。
今回は、「労働審判」と「民事訴訟」の違いや、民事訴訟と比較した場合の労働審判の「主なメリット」「主なデメリット」について、できるだけユーザー(利用者)目線で解説してゆきます。
どちらを選ぶかは申し立てる側で選べる
前提として、「労働審判」も「民事訴訟(裁判)」も、「裁判所」の手続です。
民事訴訟の制度は古く、制度そのものは明治時代からあります。
いっぽう、労働審判の制度は平成18年4月にスタートしましたので、裁判所の手続の中では「新しい制度」ということができます。
民事訴訟は、「貸したお金を返してほしい」「交通事故に遭ったので加害者に治療費や慰謝料を請求したい」などなど、さまざまな民事事件で申し立てることができます。
これに対して、労働審判の対象は、「労働契約に関する事項について、個々の労働者と事業主との間に生じた民事に関する紛争」だけに限られています。
未払い残業代請求の場合は、民事訴訟を起こすこともできるし、労働審判を申し立てることもできます。
労働審判から民事訴訟に移行する場合もある
未払い残業代請求の場合、労働審判と民事訴訟のどちらを申し立てるかは、申し立てる側が自由に選ぶことができます。
ただし、労働審判を申し立てた場合でも、次の場合には、労働審判手続は終了して自動的に民事訴訟に移行することになっています。
・労働審判に対して当事者のいずれかが異議を申し立てた場合(労働審判法21条)
・労働審判委員会が「事案の性質に照らし、労働審判手続を行うことが紛争の迅速かつ適正な解決のために適当でない」と認めて手続きを終了したとき(労働審判法24条1項)
なお、民事訴訟を提起した場合に、労働審判に移行させられることはありません。常に労働審判→民事訴訟の一方通行です。
労働審判と民事訴訟の違い① 手続きに要する時間の長さ
ユーザー(利用者)目線で見たときの労働審判と民事訴訟の最大の違いは、手続きが終わるまでの「期間」の長さです。
裁判所に関係者が集まって審理や話し合いを行う手続きを「期日(きじつ)」と呼びますが、民事訴訟の場合には、「期日」の回数に制限はありません。
事件によっては、10回以上も期日を重ねる場合もあります。
期日はおおむね1~2か月ごとに開かれますので、訴えを提起(提訴)してから、訴訟が終了するまでに1~2年を要することも少なくありません。
実際、最高裁判所によると、令和2年の労働関係の民事訴訟の平均審理期間は15.9か月となっています。
出典:最高裁判所「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第9回)」より「地方裁判所における民事第一審訴訟事件の概況及び実情」98頁以下
いっぽう、労働審判の場合には、法律で期日の回数が原則として3回までと決められています。
最高裁判所によると、平成18年から令和3年までに終了した事件についての平均審理期間は80.6日であり、67.6%の事件が申立てから3か月以内に終了しているそうです。
このように、労働審判制度は、もともと、労働の現場で起こった紛争を迅速に解決することを主な目的の一つとして導入された制度ですので(労働審判法15条参照)、「スピーディーな解決」がその最大のメリットといえます。
労働審判と民事訴訟の違い② 誰が事件を担当するのか
民事訴訟の場合、審理は裁判官だけで担当します。
複雑な事件であれば3人の裁判官で担当することもありますが(合議事件といいます)、未払い残業代請求の事件であれば、1人の裁判官で担当することが多いです(単独事件といいます)。
これに対して、労働審判の場合、事件は必ず、1人の裁判官(労働審判官)と、民間から任命された「労働審判員」2名によって構成される「労働審判委員会」が担当することになります(労働審判法7条)。
労働審判員は、「労働関係に関する専門的な知識経験を有する者のうちから」任命されることになっており(労働審判法9条2項)、事件を担当する労働審判員のうち1名は労働組合の活動経験の長い方、もう1人は企業側で労務管理を担当した経験の長い方が任命されるのが通常です。
とはいえ、労働審判員は「中立かつ公正な立場において」職務を行なうことになっていますので(労働審判法9条1項)、労働組合出身だから必ず労働者側の肩を持つというわけではありませんし、企業側出身だから必ず会社側の肩を持つというわけでもありません。
いずれにせよ、労働審判の場合には、法律のプロである裁判官と、労働の「現場」の知識・経験を持った民間人2名とが共同して審理にあたることによって、適切な解決を目指そうという理念に基づいています。
労働審判と民事訴訟の違い③ 申し立てにかかる費用
裁判所の手続きを利用するためには、事件の内容に応じて、「手数料」を納める必要があります。
手数料の金額は請求する内容の経済的な評価額によって異なり、たとえば、未払い残業代として100万円の支払いを求める民事訴訟を起こすときは、「1万円」の手数料がかかります。(裁判所のホームページに一覧表が掲載されています。)
労働審判の場合、手数料は民事訴訟の「半額」とされていますので、たとえば、未払い残業代として100万円の支払いを求める労働審判を申し立てるときは、「5000円」の手数料で済むことになります。
特に請求する金額が高額の場合には、この点も無視できない労働審判のメリットと言えるでしょう。
労働審判の主なデメリット
ここまで、労働審判のメリットを中心に書いてきましたが、他方で、次のようなデメリットもあります。
①手続きの中で、会社側に証拠を提出させることが難しい
未払い残業代請求の場合、タイムカードや業務日報など、重要な証拠が会社側にあることが多くあります。
事前に会社と交渉するなどして必要な証拠がすべて入手できている場合は問題ないのですが、事案によっては、裁判所の手続きの中で証拠の提出を求めるべき場合もあります(詳しくはこちら)。
ところが労働審判の場合、期日が3回しかありませんので、証拠を出す・出さないといったやり取りに時間をかけるのは、現実的ではありません。
したがって、裁判所の手続きの中で証拠の提出を求めようとする場合には、労働審判は不向きな手続です。
②証人尋問・本人尋問などが実施されない
労働審判の場合には、3回しか期日がありませんので、証人を呼んで証言してもらったりすることは事実上不可能です。(制度上はできることになっていますが、現実にほとんど行われていません。)
また、労働審判では、裁判官や労働審判員が紛争の内容を把握するために申立人(労働者)の話を聞きますが、それは民事訴訟での「尋問」とは異なり、聞いた内容が正式な記録として残されることもありません。
このため、証人や本人の尋問を行って、きちんと事実関係を証明したいという場合には、労働審判より民事訴訟のほうが適切なことが多いでしょう。
③争点が多数・複雑な事案には不向き
①や②とも関係しますが、労働審判は原則として3回以内の期日で事件を解決しなければなりませんので、争点がきわめて多数にのぼる事件や、あまりにも複雑な事案だと、労働審判の手続きでは処理しきれないことがあります。
このような場合、労働審判委員会は「事案の性質に照らし、労働審判手続を行うことが紛争の迅速かつ適正な解決のために適当でない」として手続きを終了し(労働審判法24条1項)、訴訟に移行してしまう可能性があります。
したがって、争点がきわめて多数にのぼる事件や、あまりにも複雑な事案の場合には、はじめから訴訟の提起をするほうが適切な場合が多いでしょう。
④付加金が命じられない
労働審判の場合には、労働審判委員会は、使用者に付加金の支払いを命じることはできません。
民事訴訟の場合でも必ず付加金の支払いが命じられるとは限らないものの(詳しくはこちら)、この点も労働審判のデメリットの一つといえるでしょう。
⑤期日には本人の出席が必要
民事訴訟の場合、「期日」には原則として弁護士のみが出席すれば足りますが、労働審判の場合には、通常、弁護士が代理人としてついている場合でも、「期日」に申立人本人が出席する必要があります。
「期日」は平日に開かれるため、退職後に未払い残業代請求をする場合、新しいお仕事などとの調整が必要になることがあります。
どちらが良いかは事案ごとの判断
以上のように、労働審判には、「迅速な解決」や「裁判官以外の専門家の関与」などのメリットがありますが、その反面、「手続きの中で、会社に証拠を出させることが難しい」「争点多数・複雑な事案には向かない」などのデメリットもあります。
そのため、未払い残業代請求の場合には、労働審判を申し立てるのか民事訴訟を提起するのか、事案ごとに判断する必要があります。
執筆者情報
1979年大阪生まれ、京都大学法学部卒業。
大学在学中に司法試験に合格し、司法修習生を経て、2004年に弁護士登録(大阪弁護士会)。
以来、不当解雇・残業代請求など、主に労働者側で多数の労働事件を担当している。
2018年4月、労働調査会より「よくわかる未払い残業代請求のキホン」を出版。
2019年10月~2021年10月、大阪労働者弁護団の事務局長を務める。
2020年4月から5月にかけて、5回にわたり、朝日新聞の「コロナQ&A」コーナーにて、コロナウイルス感染症の感染拡大にともなって生じる労働問題に関してコメントが掲載された。
また、「労働法について多くの方に知ってもらいたい」との思いから、一般の方々、労働組合・社会保険労務士・大学生等に向けて、労働法や「働き方改革」について多数の講演を行っている。