執筆者 弁護士 友弘克幸(大阪弁護士会所属/西宮原法律事務所)
残業の証拠の多くは使用者の手元にある
未払い残業代請求を行うためには、原則として、労働者側で実労働時間を1日ごとに立証(証明)しなければなりません。
ところが、これらの実労働時間を証明するための証拠(タイムカード、業務日報など)は、使用者側の手元にあることがほとんどです。(一般にどのようなものが残業代請求の証拠となるのかについては、こちらをお読みください。)
これらの証拠を入手するための手段としては、①使用者と交渉する際に、これらの資料の写しを任意に開示してもらう方法、②概算で未払い額を計算して提訴し、訴訟手続きの中で裁判官から使用者に開示を促してもらったり、文書提出命令を申し立てて証拠の提出を命じてもらう方法、があります。
このような方法で問題なく証拠を入手できることが大半ではありますが、悪質な使用者の場合には、資料の提出に応じなかったり、訴訟を提起されたと知って証拠を破棄・改ざんする恐れがある場合もないわけではありません。
このように、証拠の破棄・改ざんのおそれがある場合に、訴訟(裁判)を提起する前に証拠を収集する手段として、証拠保全の申し立て(民事訴訟法234条以下)があります(※)。
※厳密には、証拠保全の申し立ては訴え提起後にもすることができますが(民事訴訟法235条参照)、実務上は訴え提起前にすることがほとんどですので、ここでは訴え提起前の証拠保全の申し立てを念頭に解説します。
証拠保全の申し立て
訴え提起前の証拠保全の申し立ては、原則として、「検証物の所在地を管轄する地方裁判所または簡易裁判所」に行います(民事訴訟法235条2項)。
例えば、吹田市にある事務所で保管されているタイムカードを検証物とする場合には、大阪地方裁判所または吹田簡易裁判所に申し立てます。
なお、地方裁判所と簡易裁判所のどちらを選択するかは、申し立てる人の選択に任せられています。
また、証拠保全の申立先を地裁・簡裁いずれにするかは、その後の訴訟(本案訴訟)の管轄がどちらになるかとは関係がありません。たとえば、証拠保全を簡易裁判所で実施してもらった場合でも、請求する未払い残業代などの金額が140万円を超えた場合には、訴訟は地方裁判所で提起しなければなりません(裁判所法33条1項)。
証拠保全を申し立てた後の流れ(裁判官面接など)
証拠保全を申し立てると、通常、担当する裁判官との面接が行われます。
面接では、申し立て内容について補足説明を求められたり、資料の追加を求められることもあります。
その上で証拠保全を実施することが決まれば、当日の段取りについての打ち合わせが行われることになります。
証拠保全を行う場所(会社事務所など)周辺の地図を提出するように要請されることもあります。
また、証拠保全当日の持ち物(例:デジタルカメラ、ハンディスキャナー)や同行する人(カメラマンやコンピュータ操作を行うエンジニアなど)の有無など、細かな点についても打ち合わせを行うのが通常です。
会社側への通知
証拠保全は、「令和⚪年⚪月⚪日、午後⚪時から」というように、開始時刻を厳密に決めて行われます。
そして実施当日は、実施時刻の約1時間ほど前に、「執行官」という人が、相手方(会社)のもとをおとずれ、裁判所の出した証拠保全の決定書を送達します。相手方は、この時点で初めて、証拠保全が行われることを知ることになります。
このように実施直前に送達する理由は、相手方(会社側)に、証拠を改ざんしたり隠匿したりする時間的余裕を与えないためです。
裁判所によっては、証拠保全の決定書の送達にあわせて、「証拠保全とはどのような手続きなのか」についての説明文書を相手方に交付する運用をしているところもあります。
証拠保全の実施
実施時刻になると、裁判官・裁判所書記官、申立代理人(弁護士)と同行者(カメラマン・エンジニアなど)が現地にゆき、証拠保全を実施します。
タイムカードや業務日報などの証拠保全は、通常、「検証」(民訴法232条)として行われます。
「検証」とは、証拠調べの方法の一つで、裁判官が対象となる証拠について、直接、自分の目で見たり触ったりして(対象物によっては臭いを嗅いだり、音を聞いたり、ということもOK)、調べる、という方法のことです。
タイムカードや業務日報などの書類については、「目で見て確認する」というのが中心になります。
検証調書の作成
当日に行われた手続(検証)の内容は、裁判所書記官が「検証調書」という公文書に記録します。
検証調書には「検証の結果」として、当日に裁判官が実際に見た書類のコピーが添付されています。
したがって、申立人は、検証調書を謄写することで、その資料のコピーも入手することができます。
こうしておけば、後日、使用者が証拠を改ざんしたり隠匿することを心配しないでも済むわけです。
裁判(民事訴訟)を提起した後の対応
訴え提起前に証拠保全を行った場合には、訴え提起のときに提出する訴状に、証拠保全を行った裁判所と、証拠保全事件の事件番号を記載しなければなりません(民事訴訟規則54条)。
これによって、訴状を受け付けた裁判所も、「証拠保全が実施されたのだな」ということを把握することができるわけです。
まとめ
実務上、証拠保全を行うことはそれほど多くはありませんが、まったく皆無というわけでもありません。
筆者自身の経験から言えば、裁判を起こす前に、使用者の手元にある証拠の内容が全て把握できてしまうわけですので、ケースによっては迅速な紛争解決を目指す上で非常に有用な手段となる場合があると感じています。
執筆者情報
1979年大阪生まれ、京都大学法学部卒業。
大学在学中に司法試験に合格し、司法修習生を経て、2004年に弁護士登録(大阪弁護士会)。
以来、不当解雇・残業代請求など、主に労働者側で多数の労働事件を担当している。
2018年4月、労働調査会より「よくわかる未払い残業代請求のキホン」を出版。
2019年10月~2021年10月、大阪労働者弁護団の事務局長を務める。
2020年4月から5月にかけて、5回にわたり、朝日新聞の「コロナQ&A」コーナーにて、コロナウイルス感染症の感染拡大にともなって生じる労働問題に関してコメントが掲載された。
また、「労働法について多くの方に知ってもらいたい」との思いから、一般の方々、労働組合・社会保険労務士・大学生等に向けて、労働法や「働き方改革」について多数の講演を行っている。